歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

韓国ひとり旅(1997年) <11> まだ2日目 竜頭山公園と「トラワヨ プサンハンヘ」

<2日目ー4
1997年3月13日 木曜日 釜山 曇りのち雨

 

竜頭山公園(ヨンドウサン コンウオン)

車用の滑り止めなのか、横に沢山の筋模様を付けた幅4m位のコンクリートの道を登って行く。

右手に「タワーホテル(Tower Hotel)」があり、左手にも4階建ての茶色の旅館がある。旅館はハングルの文字の他に大概「温泉マーク」が付いているので、だんだん見分けられる様になってきた。この辺りには旅館、ホテルが多い。やはり観光地だからなのかもしれない。

昨日は中央洞でやっと旅館に辿り着いた気がしたが、探せばこの周辺にも沢山の旅館があったのかもしれない。
傾斜がきつく息が切れそうになるが、左手に瀟洒な教会が見えると平らになって、「竜頭山公園(ヨンドウサン コンウオン)」に出た。

 

公園は高台にあり、緑の木々の間から釜山の市街や、入りくんだ海と港が一望出来る。中央に白いコンクリート製の釜山タワーが聳え、其の前の広場に「李 舜臣(イ・スンシン)の像が海を向いて立っている。
「文禄・慶長の役」(壬辰倭乱・丁酉倭乱)で、朝鮮の水軍を率いて活躍した韓国の英雄のひとりだ。

広場には韓国風な亭があり、その前には観光客目当ての写真屋が沢山いる。平日のせいか観光客が余り多くなく、手持ち無沙汰そうに四方にたむろしている。海側が正面とすると、私が上がってきたのは横手からだったので、彼等の前を横切らずにそのまま右手の釜山タワーに向かった。

竜頭山公園と李舜臣像

 

<釜山タワー>

タワーの下の建物で切符W1,700(約238円)を買い、客のいない土産物屋の脇のエレベーターに乗り込む。
タワーの展望台は二層になっており、エレベーターはその下層階に着く。そこは食堂のようで展望が無い。細い螺旋状の階段を上って上層階へ出ると、急に明るくなり、ガラス越しに釜山の街が広がっていた。

釜山は大きな街で、山側には、日本の高層アパートはコンクリートの素材のままの建物が多いなか、此処では山の起伏にそって薄い青や赤に塗り分けられた高層アパートが建ち並び、海に向かう市街地はびっしりとビルや石造りの民家が埋め尽くし海まで続いている。

正面には狭い水道で隔てられた影島(ヨンド)が、釜山湾を囲うように浮かんでいる。
建物がびっしりと建っている中、島の中央には蓬莱山(395m)がこんもりした姿を見せている。この島の先端が、ソウル荘旅館のご主人が勧めてくれた「太宗台」(テジョンデ)だ。
そして湾内の複雑に入り組んだ入り江の其処此処には、港湾施設や巨大なクレーンが立ち並んでいる。桟橋にはコンテナ船や、フェリーが停泊している。
流石に東洋一の港町だ。

展望台を一周しながら、泊っている中央洞の「ソウル荘旅館」や、明日行く沿岸フェリー乗り場を捜した。

 

釜山タワーから眼下に見える釜山港(プサンハン)

 

釜山タワーの入場券

 

釜山はいま韓国第2位の巨大な都市だが、昔からこんな大都市ではなかった様だ。

釜山浦(富山浦)はもともと古代より日本と朝鮮半島を結ぶ交通の要衝で、李朝時代の朝鮮通信使の出発地だったり、対日貿易のための倭館があったりした。1592年・1598年の「文禄・慶長の役」(壬辰倭乱・丁酉倭乱)では日本軍の上陸拠点となり、その後の日本からの兵站を確保する重要拠点となった。

近代的な釜山港(プサンハン)が開港したのは、1876年の「日朝修好条規」の締結以降。更に1905年に首都「漢城府(ハンソンブ)」(現在のソウル)まで通じる鉄道の「京釜(キョンブ)線」が開通。

その後1910年の日韓併合以後、1945年までに港の埠頭や防波堤が整備され、貿易港としての機能が強化されたようだ。

1914年(大正3年)の釜山埠頭付近図


しかし現在の様な巨大都市になったのは、1950年の朝鮮戦争が契機だった様だ。
6月25日の開戦から3日後、首都ソウルが北朝鮮軍に占領されると、政府機関が大田(テジョン)、大邱(テグ)を経て釜山に移転され、停戦協定が結ばれる1953年まで大韓民国の臨時首都だった。

同時に戦禍を避けて多くの避難民が流れ込んで、一気に人口が急増、1940年に40万だった人口が、1955年には100万人を超える町に変わっていたと言われている。避難民のうちには、この港からさらに日本へ渡った人も多かったらしい。

戦後は繊維や履物産業などの軽工業が盛んになり、韓国最大の貿易港であると同時に商業都市としても発展して、今の大都市釜山になったのだろう。

 

そういえば、むかし日本でも「釜山港へ帰れ」という韓国の歌が流行ったのを思い出した。
初めチョー・ヨンピル(黄善雨)という韓国の歌手が歌っていたが、後から日本語の歌詞にして日本人の歌手も歌ってヒットしていた。

日本語の歌詞は釜山港から出ていった男を女性が恋しがるものだったが、もともとの韓国語の歌詞は、釜山港から日本へ渡って帰らなくなった弟に、「トラワヨ プサンハンヘ(帰って来いよ、釜山港へ)」と呼び掛ける歌だったらしい。

 

<ワールドカップ2002>

展望台の中にアイスクリームの売店があり、制服を着た店員らしい女性と、私服で髪の長い若い女性が暇そうに座り何か話していた。

私はカメラを出し、制服の女性にシャッターを押す真似をしながら、「Could you take my picture? Please.」と頼むと、立ち上がってカメラを構えてくれた。

しかしシャッター位置が判らないのか首をひねっている。すると側で興味深そうに見ていた私服の女性が、立ち上がってカメラを受け取り、にっこり笑って代わりにシャッターを押して呉れた。
カメラを受け取りながら「カムサハムニダ」ありがとう、と言うと、また微笑んだ。
一人の旅行では自分自身の写真を撮る機会が少ないので嬉しかったが、外を背景にしたので逆光だったのではと少し心配だ。

 

下りのエレベーターには2階から乗った。降りて扉が開くと土産物を売るフロアで、箱や置物、キーホルダーやペナント、Tシャツなどが飾られていた。しかし周囲を見渡しても客は私一人で、店員がじっと見詰めている。なにか気恥ずかしい。
絵葉書はツーリストインフォメーションで貰ってしまったしなぁと思いながら、明日以降の下着代わりにTシャツを買うことにした。

出口近くの店で、胸に「2002 KOREA 」と描かれた、2002年に予定されているワールドカップ記念のTシャツをW5,000(約700円)で買う。
日本では「ワールドカップ日本・韓国共同開催大会」記念Tシャツなど見たことが無かったのと、このTシャツには「日本」も「共同開催」も書かれていないのがおもしろかった。

30才半ば位の女性の店員が、キーホルダーなど指して、子供にどうかとか奥さんにお土産はなどと片言の日本語で言う。公共の場所では日本語など通じないのに、こういう所では普通の女性でも話すことが出来る。やはり観光地は違うと思いながら、「I have no wife.」と言うと、すまなそうに「それは、どうも。」とまた日本語で言った。

 

タワーの隣は極彩色の中華風建物の水族館で、入口の中は青っぽい光が点き、2m位の水槽が見えた。鯰でもいるのかもしれないと勝手に想像して、入らずに降りた。

広場を横切って行くと、団体客が着いたのか年輩の女性が2人、3人と固まって「李 舜臣」像の前で写真屋にポーズをとっていた。私には目も呉れない。
緩い下り坂で振り返ると、釜山タワーが青空の中に立っていた。そのまま団体客の乗ってきた観光バスの脇から、急な階段を降り、風車の形のレストランの横に出た。ここが南浦洞(ナンポドン)側の入り口だった。