2025-04-01から1ヶ月間の記事一覧
大戦後のマラヤの行政復興計画の立案は、すでに1942年にイギリス本国の植民地省で開始されていたらしい。 戦前のマラヤは、3つの地域に分かれて統治されていた。
敗戦による日本軍の撤退後、マレーは再びイギリスの植民地に戻ることになった。 しかし、1945年9月にイギリス軍がマレーに戻って来るまでの権力の空白期には、戦時中活動していた山岳地帯から町に戻って来た「マラヤ人民抗日軍」が、日本軍に協力したとして…
8月10日の御前会議で、ポツダム宣言受諾を決定する。 日本政府は、ポツダム宣言受諾を承認し、全日本軍が降伏する用意のあることを、午前8:00の海外向け放送で、日本語と英語で3回伝えた、更に中立国であったスイスとスウェーデンで、在外公使により交…
1941年12月に日本軍がマレー半島に侵攻すると、英国植民地政府はシンガポールのチャンギ刑務所に収監されていた約200名のマラヤ共産党(MCP)メンバーを解放し、英軍の施設でゲリラ戦の訓練を施した後、MCPの軍事組織「マラヤ人民抗日軍」MPAJAとして…
1942年5月以降、多くの捕虜はタイとビルマ(現ミャンマー)間に建設中の「泰緬鉄道」の建設に動員された。 1台に27名もの捕虜を詰め込んだトラックで、4日間も輸送された。また現地では下痢、赤痢、マラリア、脚気、十二指腸虫、コレラなどが蔓延し、十分な…
2月19日、山下第25軍司令官名で以下の布告が行われた。 「昭南島在住18歳から50歳までの男子は、21日正午までに左の地区に集合すべし。 アラブ街及びジャラン・プッサール広場(他4か所) 右に違反する者は厳重処置さるべし。尚、各自は飲料水及び食料を…
パレンバンに空挺降下があった翌日の2月15日14:00ごろ、シンガポール島の中央、ブキッ・ティマ道路に沿って進撃中の第5師団杉浦部隊の正面に、突然英国旗を掲揚したイギリス軍参謀ニュービギン少将他2名の軍使が現れ、降伏申入れを受諾する旨の回答を行っ…
午前1:35、20艘の舟艇に移乗した第一次上陸部隊は、パンタイ・ダサール・サバ(Pantai Sabak)の海岸に向け発進した。その海岸近くに、第一目標であるコタバルの飛行場が控えていた。 同時に、日本の護衛艦隊も海岸一帯に援護射撃を開始した。