歳をとっても旅が好き

海外ひとり旅の記録?いや記憶かな

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ミャンマーひとり旅(2017年) <26> まだ9日目 ヤンゴンの環状線に乗るが・・・

切符売り場を捜して辺りを見渡していると、何処からか粗末なシャツを着た黒目がちの利発そうな小学生位の女の子が寄って来て、ホームの先にある小さな小屋を指さしてくれる。「thank you !」と言って小屋に行く。「circle、ticket、please」と言えば、ペラペ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <25> 9日目 ヤンゴンに来たら、やっぱりシュエダゴン・パヤーに参拝

外に出ると、一面白い大理石の広大な敷地の中に見渡す限り大小の仏塔が立ち並び、それぞれの塔に穿かれた祠があり、その中に仏像が祀られている。雨季の最中で、さっきまで土砂降りだったのに、綺麗に着飾った老若男女が驚くほど沢山歩いている。

ミャンマーひとり旅(2017年) <24> 8日目 ヤンゴンでHISに行き、航空券を購入

タクシーの車体はニッサンの古いADバンで、ミャンマーは右側通行だが右ハンドルの日本仕様のままだ。そのため時々車が、日本語で「ETCカードが入っていません」とアナウンスする。もちろんミャンマーにはまだETCそのものがないが。

ミャンマーひとり旅(2017年) <23> 7日目 モウラミャインを出発、ヤンゴンまで行くぞー!!

ヤンゴン郊外のアウン・ミンガラ・バスステーションだ。雨が降っている。到着して降りようとすると、バスの脇には男の客引きがいっぱい集まっていて、押し合いへし合いしながら、何処に行くんだと叫んでいる。

ミャンマーひとり旅(2017年) <22> 6日目 モウラミャインで突然の発病・ホテルのベッドで旅の行方を考える

これからミャンマーの何処を周れるだろう?何といってもミャンマーは広い。いままでは、何処に行きたいかより何処を外さなければならないかで悩んでいたが、今度の病気で、反対に行ける範囲が狭くなった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <21> 5日目 モウラミャインで突然発病。下痢と嘔吐が止まらない!!

早朝の未だ暗いうちから下痢と吐き気が始まった。下痢は、固形物は最初だけであとは水ばかり。10分措きにトイレに行く。出て手を洗うと、また行きたくなる。頼んでおいた、バスターミナルまで送ってくれるタクシーが待っているが、身体が動かない。

ミャンマーひとり旅(2017年) <20> まだまだ4日目 モウラミャインでSIMをゲット!!

モウラミャインに着いたらと、2つのことを頼んでみた。1つは腕時計の電池の交換、2つ目はiPhoneに入れるミャンマーのSIMカードの取得だ。実は日本にいる間に、iPhoneのSIMロックを解除していたのだ。

ミャンマーひとり旅(2017年) <19> まだ4日目 ミャンマーへ陸路で入国の夢

陸続きの国なら、なるべく陸路で国境を越えたいと思っていた.。それがある時、タイから陸路での入国が可能だと知ってから、俄然行ってみたくなったのだ。この国境が外国人にも開かれた背景には、テイン・セイン政権時代の民政化による改革の他に、実は2012年…

ミャンマーひとり旅(2017年) <18> 日本軍の英領ビルマへの進攻

1942年(昭和17年)陸軍の第33師団(弓・仙台)、第55師団を基幹とする第15軍主力が1月20日にタイのメーソートから国境を越えた。ビルマ独立義勇軍(BIA)も日本軍に同行し、共に前進した。BIAの参謀だったアウン・サンはAung San)は、この時26歳だった。

ミャンマーひとり旅(2017年) <17> 対英米蘭戦開戦、フィリピン作戦と蘭印作戦

「南方作戦」の最終目標であった蘭印資源地帯への作戦は、以下の様に始まった。陸軍第16軍(主力は第2師団、坂口支隊)と、のちに支那派遣軍の第23軍から1942年1月4日に第16軍の戦闘序列に入った第38師団(沼・名古屋)と、第14軍から第16軍の戦闘序列に入っ…

ミャンマーひとり旅(2017年) <16> 対英米蘭戦開戦、マレー作戦とハワイ空襲

第二次大戦(対英米戦)において日本軍の最初の攻撃は、実は「真珠湾攻撃」ではなく「南方作戦」(「あ」号作戦)のうち、「E作戦」(マレー作戦)からだった。1941年12月8日,午前1:35、第18師団隷下の侘美支隊5,500名が英領マレー半島のコタバル(Kota Bh…